カテゴリ:映画・書籍など( 3 )
「アオイホノオ」の頃(全3回)
第3回 「アオイホノオ」〈漫画版〉ロケ地巡り

 あの頃を知り「アオイホノオ」のモデルとなった、大阪芸術大学近くに現在住んでいる私だからわかり得る情報を元に、〈漫画版〉ロケ地ガイドを作ってみました。
 それにしても、「アオイホノオ」のコミックスを12巻まで見る限り、作画にあたってかなり綿密なロケハンが行われているのがわかります。何気なく描かれているような背景画にしても、たとえばコミックス9巻の中ほど、主人公モユルが所属するバドミントン部の練習試合の帰りに列車のホームで津田さんと語らう場面、あのホームはおそらく近鉄南大阪線、道明寺駅の河内長野方面行きホームで、二人はそこから電車で2駅の喜志駅まで戻り、駅西側を少し行った所にある駐車場脇の小さなお店で食料品を購入のち、バスで20分もしくは自転車二人乗りで30分のモユル下宿に到着……、などと、親切過ぎるくらい手に取るようにわかってしまうわけで、ついでに、自宅通学組の津田さんが、他の部員から別れて、さらにわざわざモユルといっしょに、小一時間掛けて下宿まで戻って夕食を共にするなんて、どう考えても「恋人」の行動パターンではないのか。モユルはともかく、少なくとも津田さんはモユルとお付き合いしているつもりに違いない、などと、お友達感覚の深読みさえできる。
 ともかくも北海道在住の作者、島本和彦氏が、当時を振り返りながらの取材旅行に、わざわざこんな田舎までやって来られたことは間違いなく、作品にかけるその情熱を感じて、地元住民にして元芸大生の身としては、とてもうれしく、なんとも感慨深いのである。




a0242914_1464184.jpg

大阪芸術大学 通称「芸大坂」
何でも無さそうでいてけっこう登りがキツい芸大坂、1980年頃は学生は皆この坂を歩いて登りました。「芸大バス、上まで上がってくれないかなあ」と誰もが切望したのも今は昔、現在はMK観光の送迎バスがスイスイ登っていきます。テレビドラマ「アオイホノオ」では、ここでロケーション撮影が行われました。ちなみに80年頃は右側の歩道スペースはまだありませんでした。




a0242914_1471095.jpg

大阪芸術大学 正面アプローチ
ドラマでも頻繁に登場した芸大の正面玄関。この11号館には大学事務所と、漫画劇中に登場した画材店や学食があります。製図机の販売に熱心なあの画材店のお兄さんは元気だろうか?(漫画にもそれらしい人が登場しますが)




a0242914_1474198.jpg

大阪芸術大学 通称「UFO通り」
通り名の由来であるこのUFOぽいものは直下の学食の天窓を兼ねた憩いのイスです。このあたりは時間が止まっているようで、30年前から少しも変わっていません。




a0242914_1481552.jpg

大阪芸術大学 7号館
ファーストピクチャーズショーの会場としてよく使われたホールはこの角の部分にありました。




a0242914_1484546.jpg

大阪芸術大学 14号ホール
モユルが所属するバドミントン部が練習を行っていたのはこのホールの前です。あの頃は運動部用のシャワースペースなど無かったので、このホールのちょっと大きめのトイレの洗面所でみんな顔を洗ったり体を拭いたりしていました。そのあたりの様子は、漫画劇中にさりげなく描写されています。何とも芸が細かいです。




a0242914_1491823.jpg

大阪芸術大学 通称「アンドロメダ草原」
ファーピクで心が折れそうになったモユルが悶絶寸前に転げ回った芝生がここです。モユルとトンコさんが芸大犬と戯れていたところもここです。「芝生にカップル」とはたいそう絵になる風景ですが、正面にある第一学食からは舞台のごとく目立つ場所なので、食堂営業中にはそれなりの覚悟は必要です。ちなみに、大学内に住む犬「芸大犬」は実際に生息していました。おとなしい犬で、後ろから見ると足の形がΩみたいに見えるので「オメガ」とも呼ばれていましたっけ。




a0242914_1494571.jpg

大阪芸術大学 芸術情報センター
漫画中、よく登場するこの建物。中にはパイプオルガンがあるホールや立派な図書館などがあります。当時「塚本記念館」と呼ばれていました。実はこの建物が完成したのは1981年のことなので、モユルが1回生の頃はまだ工事中であったはずです。




a0242914_1501893.jpg

近鉄 喜志駅
関西では話題の日本一の高層ビル「あべのハルカス」。その真下の近鉄阿部野橋駅から準急で30分弱、喜志駅は芸大最寄り駅です。とはいえ芸大まではそうそう歩ける距離では無いので、ここから芸大生用の送迎バスが出ています。喜志駅の1980年頃はまだ駅舎が地上にあり、大阪方面のホームへ行くには駅構内の踏切を渡る必要がありました。このホームではあの頃、芸大の講義に来られていたフランキー堺さんをよくお見かけしました。日本を代表する俳優さんなのに、電車で通ってられたのですね。あと駅舎の入口に初夏の頃にはツバメが巣をかける情景が思い出されます。




a0242914_1535252.jpg

喜志駅前の書店
モユルが頻繁に通っていた書店のモデルは今は無き「ポプラ書房」。私もずいぶんお世話になりました。漫画中ではモユルがいかにも近所の書店に立ち寄ったかのようにみえますが、実際モユルの下宿からここまで、自転車で20分、歩けば1時間ほどの距離です。田舎暮らしはとかく不便なものです。




a0242914_1542243.jpg

ダイエー富田林店
近頃イオンの完全子会社となったダイエー。この富田林店の先行きも不透明です。それにしても1980年頃のダイエー富田林店は本当に輝いていました。




a0242914_1545119.jpg

ダイエー富田林店 地下1階
あの頃ここには、写真に写っているような飲食店がいくつも並んでいて、そのなかのひとつが、トンコさんがバイトをしているお好み焼き屋のモデルであると推測されます。漫画劇中に登場したお好み焼きは、鉄板ではなくお皿に載せてコーラなどと合わせて提供するスタイルだったはず。70年代から増え始めたダイエーのような量販店に付属する飲食店ではよく見られたスタイルです。現在、外国人旅行者から「ダンシング・ボニータ」と歓迎されている伝統芸のようなカツオ節載せも、ちょうどその頃に広まりました。横長の皿に合わせて楕円形に焼いたお好み焼きに、ソースをさっと塗り、スプーン一杯のマヨネーズをポン、最後にカツオ節を載せて完成。鉄板で提供できない代わりに、食欲をそそる演出として編み出されたであろう技が、今では全国で大阪風お好み焼きのスタンダードとなっているのです。




a0242914_2175448.jpg

モユルが通った空手道場
今も大勢のこどもたちが鍛錬に励む地元では有名な空手道場です。作者の島本氏がここに通っていたかどうかは知りません。余談ですが、このあたりが舞台になった漫画作品は厳密には「アオイホノオ」が最初ではありません。80年代集英社のヤングジャンプにそこそこ長く連載されていた八潮路つとむ氏作「キャンパスクロッキー」がそれです。題名からわかるとおり、大学生のキャンパスライフを面白おかしく綴った漫画で、そこそこ人気がありました。この道場の並びにかつてあった、阪南スクールコーポというこのあたりでは大規模な男子寮が、この漫画の主人公が暮らす男子寮のモデルで、劇中は「大南カレッジコーポ」という名前になっていました。




a0242914_158292.jpg

a0242914_1562795.jpg

空手道場からモユル下宿までの道中
こういう、言ってしまえばどうでもいい細かなところも、そこそこ忠実に描き出されている「アオイホノオ」。この住宅街の中に、かつては島本氏が暮らした下宿がありました(今ははもう跡形も無い)。住宅街の背後に見える大きな建物は現在までに次々増殖した芸大学舎の一部で、80年代頃にはもちろん無かったものです。ちなみに学舎増設に伴い住宅内で発生したテレビの電波問題も、芸大側ではしっかり対応していて「さすがは芸大さん」などと、芸大の地元での評判はすこぶるよろしい。




a0242914_1584376.jpg

モユル下宿近くの電話ボックス
細かいところ、こだわってるなあ。近年一度公園整備が入っているので、ボックスの位置は変わっているかもしれませんが、そんなの覚えているはずもなく「じゃあ駅にしろ何にしろ、現在の形ではあるけれどリアルにちゃんと描こうよ」とルールを決められたのであろう島本氏。そんな作品愛にはほんとうに頭が下がります。




a0242914_1593961.jpg

近鉄 道明寺駅
コミックス9巻に登場した道明寺駅は、自動改札化に伴う駅舎の改築があったものの、ホームや周辺環境は80年代からほとんど変わってない希有な存在。ホーム向こうに、ここ始発の支線、道明寺線が見えます。




「アオイホノオ」の頃。
 芸術系大学の大きな問題のひとつが就職問題。せっかく専門分野を学び終えても、大学に寄せられる求人にはそれを生かせる職が無い。「何だおまえ、一から出直しで営業職するつもりか?」「だれか引っぱってくれないかなあ」などと3回生を過ぎると誰もがナーバスになり、そのうち仲間内で就職の話題すら出なくなる。いざこれからバブルの時代であったはずなのに、あの頃の私の身の回りにはそんな空気が充満していました。ただ裏を返せばそれは、まだまだ「成せばなる」時代だったということなのかもしれません。
 デザイン学科だった私は、就職活動もろくにせず、卒業制作にはアニメーション制作を選びました。あの頃のデザイン学科でアニメを作ったのはたぶん私だけです。それは手間の掛かるセルアニメーションで、「ひとりで作るなんて無理だよ」という醒めた声も聞こえました。それまでずっと観ていたテレビアニメはどんどんマニア指向に傾き、私はアニメ製作者のファッションセンスの希薄さに辟易しはじめていました。ノースリーブ風にTシャツの袖をまくったシャア(※)、なんて見たくはなかったのです。とかくデザイン学科の仲間から蔑まれていたアニメだけれど、その頃がちょうど黎明期だったミュージッククリップのようなものを作って、学科の仲間たちに「アニメも悪くないね」と言わせてみたかったのです。
 数ヶ月掛けてそんなミュージッククリップみたいなアニメーションは無事に完成。卒業制作展ではそれなりに注目されました。おまけにその会場で当時デザイン学科の助教授だった方から声を掛けていただいて、その方の力添えですんなり就職が決まり、私はグラフィックデザイナーの道を歩み始めることとなりました。その後、数回の転職と独立を経て今なおデザイナーの道を歩んでいます。あの頃、ファーピクで培った打たれ強さと「ウケなきゃ負け」という思想は、今も私のなかに脈々と受け継がれていますし、スタッフ間の意思の疎通とそのまとめ方が重要な写真撮影の現場では、あの頃の自主映画での経験が、ディレクション能力を発揮する上で、少なからず力になっているのだと、思っています。

※シャア……機動戦士ガンダムに登場する、言わば敵役。のちのガンダムシリーズにも登場した。



★あの頃の芸大出身で現在著名な人々。

 誰もが「何かを表現する」ただそれだけを、目的無く考えていました。実際、大学生活4年のなかで多くの者が、そんな空気に耐えかね脱落、キャンパスを去りました。今にして思えば、毒素もたっぷり含んだとっても「濃密環境」だったように思えます。そんな中から、就職という受け皿の小ささがむしろ手伝ったのか、思いのほか多くの著名人が生まれたようです。漫画「アオイホノオ」主要キャスト以外の「あの頃出身著名人」をここに挙げてみましょう。現在、ウィキなどのネット百科事典に記載があり、時期的にみて漫画中のホノオ君=作者島本氏が学内ですれ違っていてもおかしくない人々限定です。
 

平谷美樹さん
作家。岩手県在住。在学中には漫研(CAS)の1年先輩として、たいへんお世話になった。卒業後郷里の岩手に戻られて美術の先生になられたまでは知っていたのだが、作家になられているとは失礼なことに最近まで知らなかった。第一回小松左京賞を受賞されたSF作家であられるが、角川書店刊「採薬使佐平次」シリーズなど時代小説もすこぶる面白い。

岩郷重力さん
島本氏には言わずと知れた「吉永先輩」。創元社や早川書房の文庫のカバーデザインでお馴染み。WONDER WORKZ 主宰。デザインしたカバーはすでに1000冊を超える。活動当初は本名の吉永和哉名義であった。フォント位置など緊張感のあるクールなデザインが特徴的。

木原浩勝さん
怪異収集家。スタジオジブリを経て、著書、現代百物語「新耳袋」でブレイク。共著の中山一朗氏もこの頃の芸大生である。「新耳袋」初め頃の集には、あの頃の芸大周辺の怪異がいくつも紹介されている。自宅通学組だった木原さんとは頻繁には遊べなかったが、いくらか特撮談義を交わしたことがある(木原氏はその方面でも有名)。21世紀の初め頃、平成ガメラのDVDボックスの特典映像で特技監督の樋口真嗣との対談映像を見ていて「あれ、彼知ってる!」と偶然思い出す。「継続は力なり」だなあ、とその時しみじみ思った。

Takashi Kubota さん
CGアーティスト。映画「ファイナルファンタジー」を経て北米に渡る。近年の名だたるハリウッド映画のエンドロールに頻繁に登場。在学中は大学祭の実行委員仲間として悲喜こもごも、仲良くさせてもらった。ちなみに上の木原さんもKubotaさんも「アオイホノオ」劇中で熱く語られた、伝説のアニメーター金田伊功氏(故人)と、場所は違えど一緒に仕事をしていたのである。

松尾貴史さん
「キッチュ」の芸名で演じた、朝まで生テレビの物真似で一躍有名になる。現在は、司会者としてコメンテーターとしてドラマの名脇役として、もはや知らない人はいない存在。私とはデザイン学科の同級生。在学中から、先生の物真似をして皆を笑わせていた。卒業後、非常勤講師(副手)としてデザイン学科の基礎実習「造形実習」教室にて後輩の指導に当たっていたことはあまり知られていない。デザイン学科では、かなり優等生然としていた彼が、何故芸能方面に進もうと考えたのかは定かで無いが、その道をまっすぐ進んで、そのまま手堅く極めちゃったところは、実に立派であると思う。

清積紀文さん
「ねこまたや」の名前でも活躍されているアニメーター、アニメ演出家で、同じ漫研(CAS)の同期。当時の学内では「金剛魔王」として特に有名。平時もスーパーカブで颯爽と走る姿はとにかく目立った。

吉田稔美さん
イラストレーター、絵本作家。作品「Never Girls」にてボローニャ国際絵本原画展入選。最近では現代の「のぞきからくり」とも言える「ピープ・ショー」を各地で開いている模様。私の一年後輩である。ちなみに兵庫県西脇市の「日本のへそシンボルマーク」は高校時代の彼女の作であるとのこと。

加戸誉夫さん
アニメーション演出家。獅子型のロボットが走り回るアニメ「ゾイド」のエンドクレジットで名前を見つけてから時々消息を確認する、デザイン学科の2年後輩。同じ漫研(CAS)会員だった。

田中政志さん
漫画家。90年代初め、小さな恐竜が猪突猛進する漫画「ゴン」で一世を風靡。その人気は、当時漫画を読まなかった私でもその存在は知っていたくらい。私の漫研(CAS)の2年後輩であるが、実のところよく覚えていない。CASでは矢野健太郎さんに続いて華々しい連載を飾った漫画家である。

他にもこんな人々が……

いのうえひでのりさん
劇団☆新感線主宰。演出家。今やなかなかチケットが手に入らない人気劇団は、この頃の芸大舞台芸術学科の学生を中心にして生まれ、あの頃「劇団☆新感線」とプリントされた黒Tシャツを着た一団をよく目にしたものです。特にいのうえさんは特徴的な風貌であったので、学内ではよく目立ちました。舞台芸術学科の学舎は大学内の隅に位置していて、ふつう派手に思われそうなこの学科の学生たちは思いのほか目立たないのが実情でしたが、そのなかで、学内では広く異彩を放っていた「劇団☆新感線」。今の成功の種はすでにこの頃から目に見えてあったのだと、思っています。そんな私が彼らに注目したきっかけは実は8ミリ自主映画でした。1982年度の映像計画学科の卒業制作だったと記憶していますが、太田さんという方が監督を務められた、田舎から都会に出て生きる若者たちの青春群像ドラマがありました。その出来がとにかく素晴らしくって、出ている俳優さんもまるで本物みたいで(自主映画は素人出演が基本形でしたから)、エンドクレジットの出演者に添えられていたのが「劇団☆新感線」の名前。どうやら出演者の多くが「劇団☆新感線」方々だった様子。いのうえさんは味のある脇を演じておられました(もちろん主役を食っていましたが)。この映画に今俳優で活躍されている筧利夫さんや渡辺いっけいさんが、もしかして出ていたのだろうか?などと、今となっては少々気になります。

筧利夫さん
「踊る大捜査線」シリーズでお馴染みですね。学生時代、劇団☆新感線に参加。

渡辺いっけいさん
今や連ドラではお馴染み。学生時代、劇団☆新感線に参加。

藤吉久美子さん
芸大舞台芸術学科に在籍中に、NHK連続テレビ小説「よーいドン」のオーディションで、主役の座を射止めてめでたくデビュー。藤吉久美子、この名前は本名なのですが、当時人気を誇っていた、秋吉久美子と一字違いというのが、気に掛かるデビューでしたが、あれからずっとずっと息長く活躍されています。ちょうど彼女主演の朝ドラが放送されていたあの頃、芸大14号ホールでおこなわれた上映会にて、在学中に彼女が出演した自主映画を観たことがあります。劇中彼女と再会した男の台詞「おまえ太ったな」と、劇中エンディングに掛かる山下達郎の「MONDAY BLUE」がなぜか今でも思い出されます。




★おまけ。あの頃トリビア。


◎あの頃の芸大映像計画学科学科長は、あのヨーダのモデルなのか?

ヨーダとはもちろん「スターウォーズ」シリーズのあのヨーダのこと。当時の学内ではもはや常識でした。ヨーダのモデルと言われる脚本家の依田義賢氏は、当時、映像計画学科の学科長でした。「新作のスターウォーズに出てくるあの妖怪油すましみたいなやつって、モデルが依田さんってほんと?」「ほんとうも何も、依田先生が自分でそう言ってたもん」というのは当時の我々の会話。依田義賢氏は主に旧大映映画で活躍されていた脚本家で、溝口健二作品に多く関わったことから、海外でも広く知られる日本を代表する脚本家のひとりです。庶民的なところでは、勝新太郎が「八尾の朝吉」を演じた人気シリーズ「悪名」が有名です。この依田氏にくわえ、旧大映映画の多くでカメラを務めた日本の至宝、名カメラマン宮川一夫氏、そして「大魔神」では特撮も担当した、こちらも名カメラマン森田富士郎氏と、今にして思えば豪華メンバーが、あの頃の映像計画学科で教鞭を執られていたわけです。ちなみに依田先生ですが、何度か学内でお見かけしたことがあります。ヨーダーのような小柄ではなく、どちらかというと大柄な方でした。お顔はたしかに、額や耳の辺りがヨーダに似ている気がします。


◎矢野健太郎さんてほんとにあんなスーツ着てたの?

私のCASの先輩、矢野健太郎さん。あの方は自宅通学組だったので、そうそう頻繁に会ったわけではないのですが、おおむねスーツは着ておられた印象です。漫画中の「石森章太郎風」でもなくテレビドラマ中の「純白スーツ」でもなく、細身のグレーのスリーピース、だったと記憶しています。あの頃のSF関係の方々には、そういう出で立ちの人は多かったのでは無いでしょうか。ともかく、当時の矢野さんは面白い人でした。漫画やアニメについてはもちろんお詳しかったのでしょうが、そんな知識をひけらかすことなく、ここにはとても書けないような、いわゆる「馬鹿話」を好まれるお方でした(笑)。


(おわり)
by pechkana | 2014-10-16 02:20 | 映画・書籍など | Comments(0)
「アオイホノオ」の頃(全3回)
第2回 ファーストピクチャーズショー

a0242914_1456533.jpg

 ファーストピクチャーズショーは、1989年あたりまで、大阪芸術大学内で開催されていた8ミリ映画の映像イベントのことです。略してファーピクと呼ばれていました。映像計画学科(現:映像学科)に限らず、芸大生であれば誰でも参加することができました。「アオイホノオ」漫画では秋に開催、テレビドラマでは年2回開催、となっていましたが、実際は春恒例の五月祭に合わせた、年1回の開催であったと記憶しています(好評につき追加のアンコール上映はあったと思いますが)。実写、アニメを問わず映像作品であれば何でもOKで、上映時間が「3分間」というのが唯一の条件でした。デザイン学科だった私はこれには2度出品しました。
 出品が単位に関わる映像計画学科の人たちとは違い、こちらはけっこう気楽なものでしたが、自分の作品が上映される時は、さすがに緊張します。上映作品のクオリティーは様々で、観客からつまらない作品と判断されれば、「しょ~もなあ」「しょー」「しょー」などと吐き捨てるような厳しいヤジの大合唱です。まじめに作ってこの反応であれば、心が折れることまずは必至です。逆にウケる作品であれば、場内大爆笑や場合によっては拍手さえいただけます。己の才能を確認するという意味でいえば本当に怖いイベントです。そのあたりの様子は「アオイホノオ」中に、詳細に描かれている通りで、テレビドラマでも、その雰囲気はかなり忠実に再現されていたのではないでしょうか。それでもあえて違うところをあげれば、7号館1階ホールで行われた実際のイベントの映写環境は、ドラマのそれよりもっともっと立派なものでした。ホール2階部分の音漏れのしない分厚いガラスで仕切られた映写室から、最高クラスの映写機を使って、作った本人さえ見たことが無いような高品位な映像が、見上げる位置にあるスクリーンいっぱいに映し出されるのです。
 写真は私のファーピク1回目の出品作品です。80年のファーピクに出品しました。映写機さえあれば今でも観ることはできるはずですが、そのような勇気は持ち合わせておりません(笑)。実験的な映像作品でウケを狙って作ったわけでは無かったので、上映後の観客の反応は「アオイホノオ」のモユルの作品同様「う~ん」という感じで場内無反応でしたが、ともかくも「しょー」の大合唱にならず、心も折れず、やれやれでした。これを反省点に、次回はとにかくウケなければ!と、アホに徹した2年後の2作目では、場内大爆笑をいただきました。「アオイホノオ」のモユルが場内無反応だったことを悔い(次からは)「俺はアホでいかせてもらいます‼」と改心するのと似た心理であったわけです。



ネット検索で観ることができる「アオイホノオ」関連、自主映画作品

誰がいつアップしたのか、1980年頃の大阪芸大関連の8ミリ作品たち。
いつ無くなるかわからないので、リンクさせてはいません。
動画検索で探してみてください。

「じょうぶなタイヤ」
庵野秀明氏芸大時代の作品。ファーピクだったろうか、初めて観たときはびっくりした。「ルパン三世カリオストロの城」の影響アリアリではあるが、カークラッシュで生じた細かな破片を丁寧に動かしているところは「新世紀エヴァンゲリオン」にもしっかり受け継がれた彼独自の味わいである。

「金剛魔王」「金剛魔王2」
現在観ることができる希少な当時の実写作品。ファーピク締め切り2日前、アニメ作品の製作が全くはかどっていない「さかやん」のところに突如現れた救世主「金剛魔王」。はたしてさかやんの危機は回避されるのか⁉ 金剛魔王に扮するのは「ねこまたや」の名前で現在も活躍されているアニメーターの清積紀文氏。動画のコメントに「清積紀文氏が作った」などと見られるが、実際の監督は劇中の「さかやん」その人である。ファーピクで好評を得て「金剛魔王2」が作られた。といってもフィルムをコピーして1の映像に別台詞をあてただけである(笑)。撮影が行われた場所は、俳優の筧利夫も当時暮らした、芸大近くの内田学生マンション。

「DAICON 3 オープニングアニメ」
「エヴァ」のガイナックス誕生のきっかけになった、歴史的8ミリアニメ。第三回大阪SF大会のオープニング用に作られた。詳細は「アオイホノオ」を読まれたし。「あの宇宙の戦士が動いてる‼」初めて観たときの感動は忘れられない。学校で、友人の下宿で、何度観たことだろうか。芸大祭(学園祭)にて教室を借りてのアンコール上映時には、私が作った実写の自主映画を抱き合わせで上映してもらった。画質の悪いテレシネビデオではなく、オリジナルままのフィルム上映で観ることができたのは、今にして思えば幸運なことである。

「DAICON 4 オープニングアニメ
DAICON 3 オープニングアニメのメンバーを中心に、前回のDAICON 3から2年後の第四回大阪SF大会用に作られた。あれから2年の間にプロのアニメ製作も経験した庵野氏の手腕は確実にアップ。DAICON 3アニメのパワーアップしたリニューアルから始まる憎い演出がうれしい。きわめてマニアックな作品にもかかわらず、業界内での注目度は高く、2005年には、伊藤淳史、伊東美咲主演のフジテレビ制作のテレビドラマ「電車男」のOPに、エレクトリック・ライト・オーケストラの楽曲ごと引用された(オマージュたっぷりのオリジナルアニメとして)。ちなみにこのOPアニメを製作したアニメ製作集団のGONZOの設立者のなかにはDAICON 4アニメに参加した前田真弘氏がいる。

「愛國戦隊大日本」と関連作品「仏教戦隊ブッダマン」「銃士戦隊フランスファイブ」
戦隊特撮物のパロディー作品。DAICON3とDAICON4の間の2年間に上記の同メンバーを中心に、これもSF大会用に作られた。サブタイトルは「びっくり‼ 君の教科書もまっ赤っか!」。このころからぼちぼち世間を賑わし始めた歴史教科書問題を受けたかどうかは定かでないが、アホ作品ゆえ、問題視せず大目に見てやってほしい(笑)。書店員に化けた敵戦闘員役に若かりし頃の赤井孝美氏が見て取れる。ちなみに、敵戦闘員のコスチュームに「アオイホノオ」テレビドラマにもレプリカが登場したあのダサいと当時大不評だった緑色の芸大ジャージ(芸大体育授業では着用必須であったが。現在は廃止。近年は「芸ジャー」の愛称で親しまれていたらしい)が採用されている。話は逸れるが、山本美月ちゃんのようなモデル出身のかわいい子がセクシーにあの芸大ジャージを着こなす日が来るとは! 「アオイホノオ」ドラマのブルーレイボックスは必ず買おうと決めている。……で、この「大日本」に触発されたのかどうか定かで無いが、京都は花園大学から生まれた作品に「仏教戦隊ブッダマン」というのがある。なお、さらに影響は近年海外にも波及。パリのオタク達によって作られた「銃士戦隊フランスファイブ」(France FiveでYouTube検索すると見つけやすい)のクオリティーはかなりなもの。これは必見である。しかも日本語のオリジナル主題歌までモノにしている! 恐るべしフランスのオタク!




関連映画紹介
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

ジブリ作品に決して見劣りしない
超絶クオリティー!
映画ファンにぜひとも観てもらいたい
アニメだけど、実はアニメらしくない映画

「王立宇宙軍 オネアミスの翼」(1987年作品)

制作:ガイナックス 原案・脚本・監督:山賀博之

a0242914_14565340.jpg

 DAICON3&4オープニングアニメの面々が、その後プロとして、初めて制作した本格劇場映画である。そして北野武映画の制作でお馴染みのバンダイビジュアル設立以前、玩具メーカーのバンダイが初めて映画製作に乗り出した記念碑的作品でもある。「エヴァ」の制作会社ガイナックスはそもそも、この作品の制作のために岡田斗司夫を中心に設立された会社である。当時アニメ映画としては破格の制作費を掛けて公開されたが、興行は思いのほか不振に終わった。宣伝材料に出てくるキャラクターがそれ以前からアニメファンの間で人気のあった「超時空要塞マクロス」などと混同されたのか、いわゆるオタク系を忌み嫌う映画ファンからは敬遠され、「可愛い子が出ていないから」という理由で、頼みのアニメファンからもそっぽを向かれてしまった、まったく不遇な作品である。
 だがしかし興行の不振に反して、作品自体は、アニメの枠を見事に越えた「奇跡の1本」と言ってしまって差し支えないくらい実に素晴らしい。何しろあの手塚治虫を知らないアニメ&漫画音痴の山賀博之氏(※1)が原案・脚本・監督をつとめた映画であるから(※2)かなり既存のアニメとは趣が異なるのは自明の理であろう。
 物語は「ゲド戦記」や「指輪物語」同様、地球では無い架空の世界。地球にたとえると1950年代末くらいの時代、東欧諸国を思わせるとある国が舞台である。学校での成績が振るわず、夢に見ていた水軍のパイロットになれなかった青年シロツグは、仕方なく宇宙軍に入隊。世界初の有人宇宙飛行計画に関わっていくという物語。「何をする軍隊なの?」「宇宙には戦う敵でもいるのかしらフフフ」などと世間では陰口を叩かれ笑われる落ちこぼれ集団という設定の宇宙軍を、アニメではいかにもありがちなギャグ風にまとめず、嫌味なくフラットに描いているところに好感が持てるし、主人公の設定を、ちょうど芸大生くらいの、世間的に言ってしまえば苦労知らずの「おぼっちゃん」くらいに持ってきているあたり「身に覚えのないことは描けない」と言わんばかりで、いっそ清々しい。主役の声優に味のある森本レオを迎えたのも大正解だし、多くのスタッフ達と知恵を出し合って構築したであろう、ちょっぴりダサかわいい東欧テイスト風のきめ細かな世界構築が、なんともいえない郷愁感を誘い、もはや目頭さえ熱くなる。
 そして劇中音楽が秀逸。「戦場のメリークリスマス」以来勢いづいていた、坂本龍一を音楽監督に迎え、最近の犬童一心監督作品でもお馴染み、元「ゲルニカ」の上野耕路などの精鋭が辣腕を振るって紡がれた音楽の数々は、のちに坂本が米アカデミー賞音楽賞に輝いた(連名であったが)「ラストエンペラー」に決して引けを取るものではないと、個人的には思っている。
 作画のクオリティーだが、DAICON3アニメに見られた、アマチュアならではの拙さは全くないのでご安心を。ガイナックスの面々に加え、彼らの情熱にほだされたプロの若手スタッフ達が、それ相応の資金を得て、その上で経済活動以上のマニアックすぎる働きを見せたであろう絵作りはまさに超絶。「紅の豚」の劇中「徹夜はいかん」とポルコ・ロッソに思わず言わしめ、アニメ業界の労働環境に憂慮していた宮崎駿に、おまえら何てことしてくれるんだ!と叱られたとか、叱られなかったとか。
 この映画は私の妻も大好きな作品。ジブリ作品以外のアニメは観たことがない、そんな映画ファンに是非、観ていただきたい1本である。


※1「アオイホノオ」中で描かれていた有名な逸話。SF大会会場にてオープニングアニメ製作者たちの楽屋をねぎらいに訪れた漫画家の手塚治虫氏の立ち去り際「今の誰?」と隣のメンバーに聞いてしまった山賀氏。

※2 山賀氏はけっこうな映画通ではないか?「七人の侍」のエピソード、菊千代の喧嘩シーンにおけるユーモラスな描写が、本作中に引用されていることから、そう推測される。

(つづく)
by pechkana | 2014-10-10 15:04 | 映画・書籍など | Comments(2)
「アオイホノオ」の頃(全3回)
※私的内容ゆえ、興味のある方のみご覧いただければと思います。


第1回 窓から芸大がみえる

a0242914_1474169.jpg

 大阪府唯一の4年制芸術系大学である大阪芸術大学(以下「芸大」と表記)。私と妻はここのデザイン学科出身です。私がこの大学を卒業した1984年から、かれこれ30年が経ちました。
 芸大在学中からずっと、結婚当初の3年間を除き、ここから芸大を眺めながら、通勤途中や休日の買いもの時には学生時代ゆかりの建物を横目で見ながら、生活を送ってきました。卒業時以来、芸大では旧グランドとその裏山あたりに、新校舎や劇場が次々と建てられました。少子化の影響なのか、以前は街中のあちらこちらにそぞろ歩いていた学生たちの姿が、最近では目にすることすら少なくなりました。よく仲間たちと出入りした大学近隣の飲食店のほとんどが、姿を消してしまいました。そのような変化はもちろんあったのですが、根っこの部分にあたる、この辺りの雰囲気や空気感は、地元住民の感覚に問えば30年を経ても全くといっていいほど変化していません。そのせいなのか、私のなかでは学生時代の出来事が一向に思い出となって落ち着いてくれず、今でもここから車でとろとろと芸大付近に下って馴染みの下宿のドアを叩けば、友人が顔を出しそうな心持ちでいるのです。「ふるさとは遠きにありて思ふもの」とはよく言ったものです。

「『アオイホノオ』って漫画があるんですよ」仕事をご一緒させていただいていた取引先の方からそんな話をうかがったのは、今年5月のこと。私からはずいぶんと後輩に当たる芸大出身のその彼との学園話のなかで、共通の話題でもと、私が過ごした芸大時代の学生のなかに、あの「エヴァンゲリオン」を作った連中がいたということを、私の学生生活の(今にして思えば貧弱な)ボキャブラリーのなかから無理矢理ひねり出して語っていたときのことでした。「新世紀エヴァンゲリオン(以下「エヴァ」と表記)」は言わずと知れた、90年代、独自の世界観からサブカルチャー方面をも巻き込んで、世界的に話題を投げかけたテレビアニメのこと。その総監督である庵野秀明氏とは、直接面識は無い(と思う)が、彼は学科違いで私の1年後輩に当たり、その頃の活動も当時いろいろ見聞きしていたので、そんな話をあれこれしていたのです。「その庵野たちに対抗心を燃やす主人公が出てきて、当時の大学内のことが、けっこういろいろ描かれてあって……」「そうですか。まあ、いろんな人がいましたからねえ。ちょっと調べてみます」などと返してそのまま時は過ぎ、この9月のこと。
 ふと、10年以上前に私信の途絶えた、芸大時代には一緒に同人誌を作った仲で、現在は岩郷重力というペンネームでブックデザイナーとして活躍中である学友の近況が知りたくて「いろいろ便利な時代になったものだなあ」などとネット検索をかけてウィキペディアの彼のページを開いてみると、紹介文のなかに「『アオイホノオ』にもキャラクターとして登場」とあり、ちょっとびっくり! 直ぐさまリンクされている「アオイホノオ」のウィキに飛んで、いろいろ調べてみると、思いのほか私の学生生活に近しいお話のようでさらにびっくり! 卒業以来、読んだ漫画といえば「最終兵器彼女」と「のだめカンタービレ」のふたつだけという漫画離れ著しい私の知らないところで、あの頃、身近で起こっていたコア過ぎる出来事が、あれこれネタにされていたことを、遅まきながら知ることとなったのです。また、柳楽優弥主演でテレビドラマ化もされ絶賛放映中、とのこと。しかも「鈴木先生」や「みんな!エスパーだよ!」などエポックメイキングにして良質な数々のドラマを送り出しているテレビ東京系列のあの時間帯での放映。「その前の『大川端探偵社』は観ていたのにっ!」と激しく後悔し、翌日さっそく、漫画「アオイホノオ」の今出ている分12巻全巻を大人買い、3日ほど掛けて(通勤時間を利用して)読み込んだのでした。




a0242914_149178.jpg

「アオイホノオ」 作:島本和彦。
 時は1980年。漫画家になるという夢を漠然と抱きつつ、南大阪の片田舎に所在する、大作家(おおさっか)芸術大学の映像計画学科に入学した焔燃(ホノオモユル)が、アニメ方面において類い希な才能を発揮するクラスメイトたちに触発されつつ、あらためて自分の進む道を模索し奮闘する物語。80年代当時の漫画やアニメをネタにしたコメディーラインのストーリーをベタな熱血漫画タッチの絵にのせるスタイルが、じつにいい味を醸し出している。コミックス冒頭に「この物語はフィクションである」と大きく表記されているものの、作者島本氏の自伝的要素が大半と思われ、内容は相当部分実録である。
 劇中登場するキーパーソンとして、「エヴァ」の総監督、庵野秀明氏、90年代の美少女パソコンゲーム黎明期に育成型シミュレーションゲーム「プリンセスメーカー」で一世を風靡した、赤井孝美氏、「エヴァ」を制作したガイナックスの代表取締役である、山賀博之氏、オタク文化に関する著書の多い元祖オタキングこと、岡田斗司夫氏、大阪芸大マンガ・アニメーション研究会グループCAS(※1)の創設者であり漫画家の、矢野健太郎氏などが実名で登場する。ちなみに私の大学時代の友人である、岩郷重力氏であるが、時々登場する下宿の先輩とすれば、ややイメージが違う。「スターウォーズ 帝国の逆襲」のオールナイトを観に行くくだりで「タバコタバコ」とホノオに煙草を催促するあたり(かなりのヘビースモーカーだった)、やっぱりあれがその彼かもしれない。




a0242914_1502014.jpg

「アオイホノオ」。劇中、ガイナックスの面々は別にして、矢野健太郎さん(※2)の登場には少々驚きました。芸大在学中、私はその矢野さんが作ったサークル、CASのメンバーであったことがあるからです。中学生以来、洋邦の映画にのめり込み、いつかは映画人にという夢を抱きながらも、当時黄金期を迎えていた少女漫画の多彩な表現力や「宇宙戦艦ヤマト」をきっかけに爆発的な盛り上がりをみせていたアニメの勢いのよさに、映画以上の可能性をみた私は、芸大に入学してすぐさま、大学内で唯一の漫研であるCASに迷わず入会しました。自己の持つ世界を様々な手段で表現しようとする、いわゆるクリエイティブ魂みたいなものを誰もが持つ芸術系学校の環境下ならではの「表現してなんぼ」という空気のなかにあって、独りきりでの創作が可能で、それなりに表現の幅がありつつ、万人受けも期待できる漫画やアニメは、私の目に何よりも魅力的なものに映ったのです。
 で、これが1980年頃のCASが発行していた同人誌。左が79年発行のCAS5、右が80年発行のCAS6。どちらも「アオイホノオ」の劇中に登場します。実はこのCAS6には、誌面にはもちろん登場しないけれど、私の拙い漫画も掲載されていて、「アオイホノオ」の誌面をつくづく眺めながら「まさかこんな日が来るとはなあ」と、うれしいような、恥ずかしいような、消え入りたいような、何とも複雑な心境です。


※1
当時の呼び名は「カス」だが、現在は「キャス」と呼ぶらしい。
1979にテレビ放映された「機動戦士ガンダム」の劇中、ジオン公国総帥のギレン・ザビ演説に「~あえて言おう、カスであると」という有名な一節があるが、その放送分を観ながら(実際、全く関係ないのだけれど)大学生にもなって子供向けのアニメなんて観ている自分のことを言われてるみたいで、ちょっぴり悲しい気分になったものである(苦笑)。

※2
81年の漫画家デビューから、それほどの時を置かず、ヤングジャンプ新連載「ネコじゃないモン!」でスマッシュヒットを飛ばした、矢野健太郎さん。芸大在学中は矢野建太郎名義で活動されていました。私も同じデザイン学科であり、入学早々、4回生にして1年生という最強インパクトのこの先輩との出会いが、私の学生生活にどう影響を及ぼしたのかは、定かでない(笑)。

◎「アオイホノオ」中、数ページにわたり紹介されたCAS6掲載の矢野さん作の漫画「金曜日」とは。
作者本人を投影した(と思われる)主人公が、街で偶然、今は社会人となっている女友達と再会。その一晩を描いた8ページの私小説的漫画である。4頭身ギャグ漫画風キャラクターながら「神田川」などに見る70年代恋愛映画みたいなウエットな空気感をも漂わせた雰囲気がいい。作中、女友達が主人公に「やめて‼ りくつっぽいしゃべりかた」といかにも市井のひと目線で言い放つところや、主人公に最近のアニメ話題を振られた女友達が「もう…アニメは見てへん」とポツリとつぶやくところが印象に残った。「いい歳してまだマンガなんか観てるのか?」(当時アニメという言葉はまだ一般的ではなかった)みたく、ジブリ以前の80年代初頭のアニメ鑑賞青年がまだまだ後ろ指を刺されていたそんな時代に、自身を醒めた目線で捉え作品に反映していること(おそらく)に、作者の幾ばくかの勇気と、これからの決意を、感じずにはいられなかった。私が在学中に読んだ同人漫画のなかで、最も印象深い作品である。

by pechkana | 2014-10-08 02:10 | 映画・書籍など | Comments(0)