<< 「アオイホノオ」の頃(全3回) 「ごちそうさん」ありがとう。 >>
「アオイホノオ」の頃(全3回)
※私的内容ゆえ、興味のある方のみご覧いただければと思います。


第1回 窓から芸大がみえる

a0242914_1474169.jpg

 大阪府唯一の4年制芸術系大学である大阪芸術大学(以下「芸大」と表記)。私と妻はここのデザイン学科出身です。私がこの大学を卒業した1984年から、かれこれ30年が経ちました。
 芸大在学中からずっと、結婚当初の3年間を除き、ここから芸大を眺めながら、通勤途中や休日の買いもの時には学生時代ゆかりの建物を横目で見ながら、生活を送ってきました。卒業時以来、芸大では旧グランドとその裏山あたりに、新校舎や劇場が次々と建てられました。少子化の影響なのか、以前は街中のあちらこちらにそぞろ歩いていた学生たちの姿が、最近では目にすることすら少なくなりました。よく仲間たちと出入りした大学近隣の飲食店のほとんどが、姿を消してしまいました。そのような変化はもちろんあったのですが、根っこの部分にあたる、この辺りの雰囲気や空気感は、地元住民の感覚に問えば30年を経ても全くといっていいほど変化していません。そのせいなのか、私のなかでは学生時代の出来事が一向に思い出となって落ち着いてくれず、今でもここから車でとろとろと芸大付近に下って馴染みの下宿のドアを叩けば、友人が顔を出しそうな心持ちでいるのです。「ふるさとは遠きにありて思ふもの」とはよく言ったものです。

「『アオイホノオ』って漫画があるんですよ」仕事をご一緒させていただいていた取引先の方からそんな話をうかがったのは、今年5月のこと。私からはずいぶんと後輩に当たる芸大出身のその彼との学園話のなかで、共通の話題でもと、私が過ごした芸大時代の学生のなかに、あの「エヴァンゲリオン」を作った連中がいたということを、私の学生生活の(今にして思えば貧弱な)ボキャブラリーのなかから無理矢理ひねり出して語っていたときのことでした。「新世紀エヴァンゲリオン(以下「エヴァ」と表記)」は言わずと知れた、90年代、独自の世界観からサブカルチャー方面をも巻き込んで、世界的に話題を投げかけたテレビアニメのこと。その総監督である庵野秀明氏とは、直接面識は無い(と思う)が、彼は学科違いで私の1年後輩に当たり、その頃の活動も当時いろいろ見聞きしていたので、そんな話をあれこれしていたのです。「その庵野たちに対抗心を燃やす主人公が出てきて、当時の大学内のことが、けっこういろいろ描かれてあって……」「そうですか。まあ、いろんな人がいましたからねえ。ちょっと調べてみます」などと返してそのまま時は過ぎ、この9月のこと。
 ふと、10年以上前に私信の途絶えた、芸大時代には一緒に同人誌を作った仲で、現在は岩郷重力というペンネームでブックデザイナーとして活躍中である学友の近況が知りたくて「いろいろ便利な時代になったものだなあ」などとネット検索をかけてウィキペディアの彼のページを開いてみると、紹介文のなかに「『アオイホノオ』にもキャラクターとして登場」とあり、ちょっとびっくり! 直ぐさまリンクされている「アオイホノオ」のウィキに飛んで、いろいろ調べてみると、思いのほか私の学生生活に近しいお話のようでさらにびっくり! 卒業以来、読んだ漫画といえば「最終兵器彼女」と「のだめカンタービレ」のふたつだけという漫画離れ著しい私の知らないところで、あの頃、身近で起こっていたコア過ぎる出来事が、あれこれネタにされていたことを、遅まきながら知ることとなったのです。また、柳楽優弥主演でテレビドラマ化もされ絶賛放映中、とのこと。しかも「鈴木先生」や「みんな!エスパーだよ!」などエポックメイキングにして良質な数々のドラマを送り出しているテレビ東京系列のあの時間帯での放映。「その前の『大川端探偵社』は観ていたのにっ!」と激しく後悔し、翌日さっそく、漫画「アオイホノオ」の今出ている分12巻全巻を大人買い、3日ほど掛けて(通勤時間を利用して)読み込んだのでした。




a0242914_149178.jpg

「アオイホノオ」 作:島本和彦。
 時は1980年。漫画家になるという夢を漠然と抱きつつ、南大阪の片田舎に所在する、大作家(おおさっか)芸術大学の映像計画学科に入学した焔燃(ホノオモユル)が、アニメ方面において類い希な才能を発揮するクラスメイトたちに触発されつつ、あらためて自分の進む道を模索し奮闘する物語。80年代当時の漫画やアニメをネタにしたコメディーラインのストーリーをベタな熱血漫画タッチの絵にのせるスタイルが、じつにいい味を醸し出している。コミックス冒頭に「この物語はフィクションである」と大きく表記されているものの、作者島本氏の自伝的要素が大半と思われ、内容は相当部分実録である。
 劇中登場するキーパーソンとして、「エヴァ」の総監督、庵野秀明氏、90年代の美少女パソコンゲーム黎明期に育成型シミュレーションゲーム「プリンセスメーカー」で一世を風靡した、赤井孝美氏、「エヴァ」を制作したガイナックスの代表取締役である、山賀博之氏、オタク文化に関する著書の多い元祖オタキングこと、岡田斗司夫氏、大阪芸大マンガ・アニメーション研究会グループCAS(※1)の創設者であり漫画家の、矢野健太郎氏などが実名で登場する。ちなみに私の大学時代の友人である、岩郷重力氏であるが、時々登場する下宿の先輩とすれば、ややイメージが違う。「スターウォーズ 帝国の逆襲」のオールナイトを観に行くくだりで「タバコタバコ」とホノオに煙草を催促するあたり(かなりのヘビースモーカーだった)、やっぱりあれがその彼かもしれない。




a0242914_1502014.jpg

「アオイホノオ」。劇中、ガイナックスの面々は別にして、矢野健太郎さん(※2)の登場には少々驚きました。芸大在学中、私はその矢野さんが作ったサークル、CASのメンバーであったことがあるからです。中学生以来、洋邦の映画にのめり込み、いつかは映画人にという夢を抱きながらも、当時黄金期を迎えていた少女漫画の多彩な表現力や「宇宙戦艦ヤマト」をきっかけに爆発的な盛り上がりをみせていたアニメの勢いのよさに、映画以上の可能性をみた私は、芸大に入学してすぐさま、大学内で唯一の漫研であるCASに迷わず入会しました。自己の持つ世界を様々な手段で表現しようとする、いわゆるクリエイティブ魂みたいなものを誰もが持つ芸術系学校の環境下ならではの「表現してなんぼ」という空気のなかにあって、独りきりでの創作が可能で、それなりに表現の幅がありつつ、万人受けも期待できる漫画やアニメは、私の目に何よりも魅力的なものに映ったのです。
 で、これが1980年頃のCASが発行していた同人誌。左が79年発行のCAS5、右が80年発行のCAS6。どちらも「アオイホノオ」の劇中に登場します。実はこのCAS6には、誌面にはもちろん登場しないけれど、私の拙い漫画も掲載されていて、「アオイホノオ」の誌面をつくづく眺めながら「まさかこんな日が来るとはなあ」と、うれしいような、恥ずかしいような、消え入りたいような、何とも複雑な心境です。


※1
当時の呼び名は「カス」だが、現在は「キャス」と呼ぶらしい。
1979にテレビ放映された「機動戦士ガンダム」の劇中、ジオン公国総帥のギレン・ザビ演説に「~あえて言おう、カスであると」という有名な一節があるが、その放送分を観ながら(実際、全く関係ないのだけれど)大学生にもなって子供向けのアニメなんて観ている自分のことを言われてるみたいで、ちょっぴり悲しい気分になったものである(苦笑)。

※2
81年の漫画家デビューから、それほどの時を置かず、ヤングジャンプ新連載「ネコじゃないモン!」でスマッシュヒットを飛ばした、矢野健太郎さん。芸大在学中は矢野建太郎名義で活動されていました。私も同じデザイン学科であり、入学早々、4回生にして1年生という最強インパクトのこの先輩との出会いが、私の学生生活にどう影響を及ぼしたのかは、定かでない(笑)。

◎「アオイホノオ」中、数ページにわたり紹介されたCAS6掲載の矢野さん作の漫画「金曜日」とは。
作者本人を投影した(と思われる)主人公が、街で偶然、今は社会人となっている女友達と再会。その一晩を描いた8ページの私小説的漫画である。4頭身ギャグ漫画風キャラクターながら「神田川」などに見る70年代恋愛映画みたいなウエットな空気感をも漂わせた雰囲気がいい。作中、女友達が主人公に「やめて‼ りくつっぽいしゃべりかた」といかにも市井のひと目線で言い放つところや、主人公に最近のアニメ話題を振られた女友達が「もう…アニメは見てへん」とポツリとつぶやくところが印象に残った。「いい歳してまだマンガなんか観てるのか?」(当時アニメという言葉はまだ一般的ではなかった)みたく、ジブリ以前の80年代初頭のアニメ鑑賞青年がまだまだ後ろ指を刺されていたそんな時代に、自身を醒めた目線で捉え作品に反映していること(おそらく)に、作者の幾ばくかの勇気と、これからの決意を、感じずにはいられなかった。私が在学中に読んだ同人漫画のなかで、最も印象深い作品である。

by pechkana | 2014-10-08 02:10 | 映画・書籍など | Comments(0)
名前
URL
画像認証
削除用パスワード
<< 「アオイホノオ」の頃(全3回) 「ごちそうさん」ありがとう。 >>