盛夏。直島にて。 以下も同様です。 直島。「アートの島」として有名な瀬戸内に浮かぶ小島ですが、うちは父方も母方もこの直島の出身で、小学校の頃はよく夏の数日をこの直島で過ごしたものです。今では「家プロジェクト」でおなじみの本村(ほんむら)の親戚宅にお邪魔させてもらっての海水浴三昧の日々で、はじめて飛び込みを覚えたのは本村の波止場でしたし、地元で「たるみ」と呼ばれている本村にほど近い浜では、少し沖にある小さな岩礁まで地元の親戚の子と競って泳いだのもいい思い出で、私にとって直島は「あの夏の日々」そのものといえます。 あれから数十年、直島にはいくつもの新しい顔ができました。数々のアート施設、立派になった宮浦(みやのうら)のフェリー乗り場、数年前にオープンした島初めてのコンビニ。そんななかでも「あの夏の日」はうれしいことに健在で、本村の農協付近から波止場を望む小道などは、実に見事なほど昔の風情を残していて、今にも向こうから、真っ黒に日焼けした小学生の頃の自分が駈けくるのではと思えるほどです。 ところで、直島とアートの関係は、ベネッセがこの地を開発するずいぶん以前からありました。地上二階地下一階、地面にへばりつくようなユニークな無機質建築の直島小学校が東京の建築家の設計で完成したのは、大阪万博の年1970年のこと。それ以前は外壁が板張りのそれはそれはレトロな木造建ての小学校だったのですから、まさに高度成長期さながらの出来事が直島でもしっかり起こっていたわけで、私も「靴が入れやすいように下駄箱が斜めになっとるんぞ」と親戚の子の語りにその未来的な情景を垣間みて胸を躍らせた記憶があり、あまりにも奇抜かつクールなその外観を、自分の学校と比べて羨ましく眺めたものです。戦前から存在する三菱の製錬所(現三菱マテリアル)には、昔から東京のスタッフが数多く常駐し島の人々の多くがこの会社に関わってきたことから、直島ではいわゆる「東京志向」が比較的強く、田舎にありがちな閉鎖性がそもそも無く、それに加えて製錬所からの煙害による保証金などにより、町が幾分裕福だったことも手伝って、それ以来、実験的な建築物がいくつも建てられたというわけです。 さてさて、表題の直島弁ですね。 うちの父方は祖父の代で直島から大阪に出てきました。母は中学を出てすぐ一家で大阪に出てきました。田舎から都会へ出てきた多くの人々同様、出てきた時点で方言はなんとなく封印してその都会の言葉に馴染みました。だから親戚一同表向きは大阪人となり、言葉もみんななんとなく大阪弁です。さらに息子の代になると生まれ育ちが大阪ですから、もう立派な大阪人です。だから私も大阪人だと思っています。 ところが、イントネーションはしっかり大阪風でも語彙の中には方言が残ります。ずっと標準語だと思っていた言葉がある日突然親の出身地の方言だと知らされる。同じ境遇ならば誰でも一度は経験があるのではないでしょうか。これはおそらく、その方言の代わりになる言葉が標準語のなかに無かったり、あっても長い言葉にあたる場合に考えられます。 我が家に残る直島方言のいくつか とどる……沈殿する 用例「このお醤油、底になにかとどってるね」 すかす……少しすき間をつくる 用例「ちょっと暑くなってきたので、窓すかそうか」 かく……家具などを動かす 用例「これちょっとこっちまでかいてくれるか」 駕篭かき、のかきですね。 ほんそ……大事な子 用例(祖父がふたりの孫に)「おまえはわしの一のほんそだ。だけどこっちのおまえはよく泣くから二のほんそな」 せらう……やきもちを焼く 用例「この子を抱いたらこっちの子がすぐせらって困る」 ひろひろ……物欲しげにする 用例(スーパーの中で子供に)「ひろひろ歩き回るな!」 しょうたれ……だらしない 用例「このどしょうたれがっ!」 がんど……クワガタムシなどの甲虫の幼虫やセミの幼虫 ほかにもあるかもしれませんが気づいたものではこんなところです。 おかしなもので我が家では今でも日常に使っています。特に「とどる」などはごく最近になって方言だと気づきました。ところでこの「とどる」、岡山、香川双方の知人に聞き合わせてみましたがどちらも使わないとのこと。ちょっと不思議です。音から察するに、方言というより古語が残っているとも感じられます。 母に言わせると直島弁は讃岐弁とも岡山弁とも少し違うとのこと。どちらかというと京言葉に近いはんなりとしたイントネーションだとか。 歴史上では、1156年保元の乱で敗れた崇徳(すとく)天皇が讃岐に流される途中、直島に立ち寄ったとされていて、直島という名称はそのときの崇徳天皇が命名したといわれていることから、このあたりの因果関係が個人的には気になるところです。 草間彌生の「南瓜」でおなじみの琴弾地(ごたんじ)の浜。今は静かないい浜です。 家族での海水浴には最適なのではないでしょうか。 ここはかつて、ワシントンホテルで有名な藤田観光が開発した「藤田直島パラダイス」という レジャービーチとして賑わい、連絡船の船着き場もありました。1970年代頃の話です。 海の家が建ち並ぶいかにも高度成長期らしい雑多なたたずまいが当時子供の私から見ても、 この島には似つかわしくないと感じたものです。 おおむね直島の風情は昔から変わりませんが、ここに関してはずいぶん変わったといえます。 もちろんいい意味で、ですが。 琴弾地(ごたんじ)を見下ろす高台から。彼方に瀬戸大橋が見えます。 瀬戸内の風景は日中ももちろんきれいですが、晴れの日の夕暮れ時は特にいいです。 さらに行くと人口の浅瀬が。昔は鯛の養殖場でした。 ちょうどこの真上にある「地中美術館」のカフェからの眺めのよさが、 直島では一番だと私は思っています。 カフェの前には飲み物片手に景色を楽しめるスペースもあります。 「地中美術館」では自然光&裸足で鑑賞する クロード・モネの「睡蓮」シリーズ5点が、特にお進めです。 李禹煥美術館前にて。 以前、建築雑誌の企画で直島を訪れたアイドルグループ「嵐」の櫻井翔君が、 今年の正月に両親と連れ立って、ふたたびこの島を訪れたという話を テレビで知った嵐ファンの母(70歳オーバーですが 笑)は 我がふるさとがなあ、と感激至極。長生きはするものです。 李禹煥美術館から瀬戸内海を望む。 本村、護王神社から精錬所の煙突を望む。以前はレンガ作りの巨大な煙突があり、 島の人は「高煙突」と呼んでいました。 かつての禿げ山にも植樹が進み少しずつ失われていた緑が復元しつつありますが これに至るまですでに数十年の歳月が掛かっていることを思えば、まだまだ遠い道のりです。 精錬所内にある神社。コンクリートの鳥居がなんとも昭和風情です。 戦時中にアジア各地に建立された神社群を連想させます。 めずらしいカラミ煉瓦でできた神社の石段。母はこのレンガのことを「カナメ」と呼びます。 宮浦にある、アーティスト大竹伸朗による「直島銭湯 I ラブ湯」。 人気のスポットですね。フェリーの待ち時間を利用してさっぱり一風呂ってのもいいですね。 入湯してみた感想ですが、美術施設なんだけど しっかりちゃんと銭湯しています、って感じでしょうか。 昭和エロスなモチーフが散見され、笑えます。 ごった煮な感じの外観。どこを切り取っても絵になりますね。 勢いで購入してしまった、人気の「銭湯グッズ」。 ピンクのラブローション風(笑)なのはボディソープです。 館内では同じ洗面器を使っています(もちろん積み上がっていました)。 お風呂あがりはラムネ、いやラブネですっきり。 #
by pechkana
| 2012-02-22 16:21
| 旅
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